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実は書かなきゃいけないことが、2件ほどたまっているのだが、
まあ良い。
1つは考え直しつつカタツムリのごとくのろのろ進め、
もう1つは4000~8000字と短く、4月中旬までと言われているので
適当にポリポリ進めているような具合。
前者は一度締め切りぶっちしてるのだが、
後者はさすがに締め切りぶっちできないのでどうにかする。
なんていうか、指導教員の面子的に土下座しても許されない、みたいな。
***
何かを書かなければならないとして。
おいらが今いるのは、そういう場所である。
書きたくなくても書かなきゃいけないし、
紙の上にインクで乗っかった言葉だけが評価される。
そういう世界である。
別にそれを哀しいとは思っていない。
他の道えらべばいいのに、と思うことはあるとしても。
けれど、やはり何一つとして書くべきことなんてないのだ。
書き始めるたびに思うし、書き終わるたびに思う。
言うべきことなんて皆無なのだが、
もしかしたらこの言葉がわたしよりも遥かに長生きするかもしれない、
と思うとなんとも言えない気分。
この空っぽな言葉が、いつかわたしとして生きるのかもしれない。
わたしが吉原の詩を吉原だと考えているのと同じように。
それはとても恐ろしいことで、そして、とても苦しいことだ。
それでも、何かを書かなければならないとして。
わたしは書こうと思う。
何一つ書くべきことがないから、書こうと思う。
まあ良い。
1つは考え直しつつカタツムリのごとくのろのろ進め、
もう1つは4000~8000字と短く、4月中旬までと言われているので
適当にポリポリ進めているような具合。
前者は一度締め切りぶっちしてるのだが、
後者はさすがに締め切りぶっちできないのでどうにかする。
なんていうか、指導教員の面子的に土下座しても許されない、みたいな。
***
何かを書かなければならないとして。
おいらが今いるのは、そういう場所である。
書きたくなくても書かなきゃいけないし、
紙の上にインクで乗っかった言葉だけが評価される。
そういう世界である。
別にそれを哀しいとは思っていない。
他の道えらべばいいのに、と思うことはあるとしても。
けれど、やはり何一つとして書くべきことなんてないのだ。
書き始めるたびに思うし、書き終わるたびに思う。
言うべきことなんて皆無なのだが、
もしかしたらこの言葉がわたしよりも遥かに長生きするかもしれない、
と思うとなんとも言えない気分。
この空っぽな言葉が、いつかわたしとして生きるのかもしれない。
わたしが吉原の詩を吉原だと考えているのと同じように。
それはとても恐ろしいことで、そして、とても苦しいことだ。
それでも、何かを書かなければならないとして。
わたしは書こうと思う。
何一つ書くべきことがないから、書こうと思う。
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自分以外が見ても意味不明であろうメモ。
アマツ、アルバを倒した。
アカム、ウカムはまだ。
アマツもアルバもハンマーで行った。
アマツは2回しか行ってないけど、アルバは数匹狩った。
たまたま全然でやしない。物欲センサーめ。
アルバ、20分針~25分針とかなり遅め。
首振り時に溜め2や溜め3を入れられないというのが大きいかも。
あと、振り向きに溜め3当てるときもスカすことが多い。
頑張ればもうちょい縮むんじゃないかと思うんだけれど。
高級耳栓つけたほうが早いかな。
しかし、耳栓つけるとなると良いお守りがないせいで、
欲しいスキルがつかなくなるんだよなぁ……
現在は、集中、弱点特攻、攻撃うp大、スタミナ急速回復でやってます。
集中かスタミナ急速回復より業物のほうが良さそうか?
ファーレンも考えたけど、弓は普段使わないし、
防具が揃ってないし、で保留に。
10分針にしたい(
アカム、ウカムはまだ。
アマツもアルバもハンマーで行った。
アマツは2回しか行ってないけど、アルバは数匹狩った。
たまたま全然でやしない。物欲センサーめ。
アルバ、20分針~25分針とかなり遅め。
首振り時に溜め2や溜め3を入れられないというのが大きいかも。
あと、振り向きに溜め3当てるときもスカすことが多い。
頑張ればもうちょい縮むんじゃないかと思うんだけれど。
高級耳栓つけたほうが早いかな。
しかし、耳栓つけるとなると良いお守りがないせいで、
欲しいスキルがつかなくなるんだよなぁ……
現在は、集中、弱点特攻、攻撃うp大、スタミナ急速回復でやってます。
集中かスタミナ急速回復より業物のほうが良さそうか?
ファーレンも考えたけど、弓は普段使わないし、
防具が揃ってないし、で保留に。
10分針にしたい(
モニターの調子が悪いですぬ。
ちらつくというか、不調なときは画面に何もうつらないw
ビデオカードのほうなのか、
それともモニターのほうに原因があるのか、
他のPCに繋げてないからわからないけれどどっちだろう。
モニターだったら最悪、新しいの買っちゃうんだけどな。
同じサイズが13000円出せば変えちゃうし。
ビデオカードなら修理出すしかねぇ。
そしてこの記事を書いている今もちらついているw
画面のリフレッシュレートも調べたけど問題なさそうだし。
輝度も下げてみたけれど改善されないし。
別のパソコンでつないで確認したら修理だなー。
まだ3年しかたってないのにひでぇw
ちらつくというか、不調なときは画面に何もうつらないw
ビデオカードのほうなのか、
それともモニターのほうに原因があるのか、
他のPCに繋げてないからわからないけれどどっちだろう。
モニターだったら最悪、新しいの買っちゃうんだけどな。
同じサイズが13000円出せば変えちゃうし。
ビデオカードなら修理出すしかねぇ。
そしてこの記事を書いている今もちらついているw
画面のリフレッシュレートも調べたけど問題なさそうだし。
輝度も下げてみたけれど改善されないし。
別のパソコンでつないで確認したら修理だなー。
まだ3年しかたってないのにひでぇw
敵との同一化は最悪の形の非人格化である。
それは自分自身であろうとする自由の喪失である 。
(ジョセフ・ゲーベル 『虚偽意識』)
***
区切りをつけるべきなので長いけど書く。
長いから読まなくていい。
ただのメモみたいなもの。
他人の言葉を引用せずに語ることは難しい。
安易な引用は責任の放棄であると同時に、
言葉を探さなくていいという罪でもある。
たとえ、言葉が引用の歴史であるとしても、
言葉を探すことを放棄するということは怠惰である。
そう思いながら、わたしは面倒だから引用する。
いくら探したところで、劣化コピーか単なるレプリカにしかならないと
諦めているからそうする。
さて、突然だが、フェミニズム的な話をしよう。
フェミニズムという文脈において、異性間のセックスというのは
大抵の場合、同一化という夢想として語られる。
男と女が結合して同時に気をやること、その行為を
フェミニズムという文脈は肉体と精神の融合もしくは同一化として語る。
そして、フェミニズムがその文脈において指摘するのは、
そのような企て、すなわち同一化という夢想は
異性間のセックスという行為によっては決して現実化しないということ、
すなわちセックスによる同一化は失敗する、ということである。
その根拠として、
例えば気をやるのはほんの一瞬の出来事だとか、
男と女じゃ気をやるまでの時間にズレがあるから合わせるのが大変だとか、
そういう具体的なものもあれば、
自己の他者化が究極的には自己否定そのものであるために失敗する、
といった抽象的なものもある。
別に異性間のセックスを批判するつもりはない。
そもそも、わたしは異性間のセックスに興味がない。
そこに愛があろうとなかろうと、どのような夢想があろうとどうでもいい。
だから、フェミニズム的な文脈で主張されることの大半は理解できない。
ただ、そういう異性愛幻想の次の段階が、
セックスではなく被害と加害による関係であるのはたぶん間違いなく、
その先に何があるのかを知りたいとは思っている。
傷で愛をはかろうとした人が、
あの突き詰めた愚かさは嘘だ、と言った。
そこに夢を見ているのは否定しない。
傷つけたり、傷つけられたり、
そんな貧しい方法ではなく、
他に何らかの手段があるならば
そのほうが良いに決まっている。
***
<さようなら>と 何度言ったか
<こんどこそ>と 何度言ったか
さうして 何度
むなしく にがく 間違ったか――
(吉原幸子 『昼顔』 「告白が」)
***
人間ってあっさり死んでしまうんだな、という認識。
別に誰かが死んだわけじゃない。
大学の友人に「お前は変態だ」と言われて
「根拠がないじゃないか」と反論したり、
「身体の触り方が尋常じゃない」と怒られたり、
この前は友達と一緒に美術館にいったし、
他の人たちとは某社が企画した対談も聞きに言ったし、
ラーメンだって食べて初めて替え玉なるものを経験した。
二月にはサークルで飲み会が二回あるはずだし、
友人がどっかいこうかっていってくれてる。
つまり、ボケてしまいそうになるほど平和なんだ。
それは間違いない。
なのに、その傍らで確実に死んでいく人がいる。
それは死人である時点で既に「わたし、たち」ではない。
だから、隣に座っている幽霊は、ずっとそこにいるのだろうけれど、
わたし、たちからすれば冥王星よりも遠く、
百億光年の彼方にしかありえないのだろう。
殆ど不在と等しい実在。
それゆえに彼ら・彼女らは、
わたし、たちにとってどうしようもないほどいとおしくて、
手をのばしてもすり抜けていってしまう。
幽霊を見てしまった、のが問題なのだ。
普段、わたし、たちはその存在を意識しない。
そんなのは一部の霊能者や、
一人かくれんぼを好き好んでやるような奴だけが感じていれば良い。
けれど、ある瞬間に、殆ど運命的な出会いを幽霊と果たしてしまうことがある。
だからといって唱えるべきお経をわたし、たちは知らない。
別に彼ら・彼女らがわたし、たちに危害を加えてくることもないのだけれど
(なぜなら、幽霊の居場所は此岸ではなく彼岸だからだ)
それゆえに「ただ、そこにいる」という事実に途方に暮れてしまう。
存在の容認の難しさ。
視界の端にちらつくのは、あなた、がたではなく、わたしだ。
わたしは、彼岸へいきたい。
結論を言ってしまえば、ただそれだけのこと、それだけのことで生き急いでいる。
死者にとってこの地が未練の終着点となるように、
わたし、たちにとっては川の向こう側が未練の終着点であったに過ぎない。
彼岸は「来し方」であり「帰し方」である。
わたし、たちは帰りたい。
そして、幽霊たちにまぎれて、あなた、がたとは離別したい。
最も残酷な裏切り方。
その裏切りの方法だけが、生存を支えているという皮肉。
それでしか生存を証明することができない、という皮肉。
***
上の長い厨2な文章は、大学入ってから書いた日記です。
たぶん2年か3年の冬だと思う。
なんだろうね。
基本的に日本語が不自由なので、
抱えているものを上手く言語化することが出来ないのです。
自分で読んでいる限りでは理解できるんだけれど、
説明するとなると非常に難しい。
ただ、この頃と感じていることとか、思っていることって
根本的にはたぶんあんまり変わらないんだと思う。
表象は違っているのかもしれないけれど。
それ以前の日記を見てもそんな感じなので、
よくも悪くも成長していないということらしい。
いつも間違える。
別に大学に限った話ではなくて、
中学も高校もそうだったんだけれど、
「あなた」との関係がどうしても上手くいかない。
それは友人か片思いの相手かに関係なく常にそう。
何処かで必ず間違える。
結果として、それが縁が切れるとこまでいくかいかないかの違いである。
そして、こんどこそ、とひそかに思いはするけれど、
同じ間違いを繰り返しては、自分の無能さに落胆する。
***
本当は感謝の言葉を最初に並べるべきなのだろうけれど、
感謝の言葉と別れの言葉が殆ど等しいために、
どうしても最初に置くことが出来なかった。
わたしたちは、あなたがたのことが大好きです。
大切でいとおしくて傍にずっといてほしいと思う。
それと同時に、憎くて憎くて仕方がない。
どうすれば大切にできるかも未だにわからない。
どうすれば出来るだけ傷が残らないように、傷つけれるのかわからない。
傷でしか愛がはかれないのです。
傷ついて、傷つけて、そういう関係の在り方しか知らないのです。
見つめて、微笑んで、そういう穏やかな在り方を知らないのです。
わたしたちはあなたがたを愛していると言いながら、
本当はあなたがたのことなんて見てもいなかった。
わたしたちが欲しかったのは、
あなたがたの身体であり手であり指先であり、
わたしたちが抱える理想を投影する具体的な物質でした。
あなたがたの精神ではなかった。
それでもわたしたちはあなたがたを失いたくない、と言う。
傲慢で我儘で自己中心的だと思いながら。
見捨てられて当然の人間を今までありがとう。
そしてさようなら。
縁がある人は再びごきげんよう。
縁のない人はお幸せに。
ごそつぎょうおめでとうございます。
それは自分自身であろうとする自由の喪失である 。
(ジョセフ・ゲーベル 『虚偽意識』)
***
区切りをつけるべきなので長いけど書く。
長いから読まなくていい。
ただのメモみたいなもの。
他人の言葉を引用せずに語ることは難しい。
安易な引用は責任の放棄であると同時に、
言葉を探さなくていいという罪でもある。
たとえ、言葉が引用の歴史であるとしても、
言葉を探すことを放棄するということは怠惰である。
そう思いながら、わたしは面倒だから引用する。
いくら探したところで、劣化コピーか単なるレプリカにしかならないと
諦めているからそうする。
さて、突然だが、フェミニズム的な話をしよう。
フェミニズムという文脈において、異性間のセックスというのは
大抵の場合、同一化という夢想として語られる。
男と女が結合して同時に気をやること、その行為を
フェミニズムという文脈は肉体と精神の融合もしくは同一化として語る。
そして、フェミニズムがその文脈において指摘するのは、
そのような企て、すなわち同一化という夢想は
異性間のセックスという行為によっては決して現実化しないということ、
すなわちセックスによる同一化は失敗する、ということである。
その根拠として、
例えば気をやるのはほんの一瞬の出来事だとか、
男と女じゃ気をやるまでの時間にズレがあるから合わせるのが大変だとか、
そういう具体的なものもあれば、
自己の他者化が究極的には自己否定そのものであるために失敗する、
といった抽象的なものもある。
別に異性間のセックスを批判するつもりはない。
そもそも、わたしは異性間のセックスに興味がない。
そこに愛があろうとなかろうと、どのような夢想があろうとどうでもいい。
だから、フェミニズム的な文脈で主張されることの大半は理解できない。
ただ、そういう異性愛幻想の次の段階が、
セックスではなく被害と加害による関係であるのはたぶん間違いなく、
その先に何があるのかを知りたいとは思っている。
傷で愛をはかろうとした人が、
あの突き詰めた愚かさは嘘だ、と言った。
そこに夢を見ているのは否定しない。
傷つけたり、傷つけられたり、
そんな貧しい方法ではなく、
他に何らかの手段があるならば
そのほうが良いに決まっている。
***
<さようなら>と 何度言ったか
<こんどこそ>と 何度言ったか
さうして 何度
むなしく にがく 間違ったか――
(吉原幸子 『昼顔』 「告白が」)
***
人間ってあっさり死んでしまうんだな、という認識。
別に誰かが死んだわけじゃない。
大学の友人に「お前は変態だ」と言われて
「根拠がないじゃないか」と反論したり、
「身体の触り方が尋常じゃない」と怒られたり、
この前は友達と一緒に美術館にいったし、
他の人たちとは某社が企画した対談も聞きに言ったし、
ラーメンだって食べて初めて替え玉なるものを経験した。
二月にはサークルで飲み会が二回あるはずだし、
友人がどっかいこうかっていってくれてる。
つまり、ボケてしまいそうになるほど平和なんだ。
それは間違いない。
なのに、その傍らで確実に死んでいく人がいる。
それは死人である時点で既に「わたし、たち」ではない。
だから、隣に座っている幽霊は、ずっとそこにいるのだろうけれど、
わたし、たちからすれば冥王星よりも遠く、
百億光年の彼方にしかありえないのだろう。
殆ど不在と等しい実在。
それゆえに彼ら・彼女らは、
わたし、たちにとってどうしようもないほどいとおしくて、
手をのばしてもすり抜けていってしまう。
幽霊を見てしまった、のが問題なのだ。
普段、わたし、たちはその存在を意識しない。
そんなのは一部の霊能者や、
一人かくれんぼを好き好んでやるような奴だけが感じていれば良い。
けれど、ある瞬間に、殆ど運命的な出会いを幽霊と果たしてしまうことがある。
だからといって唱えるべきお経をわたし、たちは知らない。
別に彼ら・彼女らがわたし、たちに危害を加えてくることもないのだけれど
(なぜなら、幽霊の居場所は此岸ではなく彼岸だからだ)
それゆえに「ただ、そこにいる」という事実に途方に暮れてしまう。
存在の容認の難しさ。
視界の端にちらつくのは、あなた、がたではなく、わたしだ。
わたしは、彼岸へいきたい。
結論を言ってしまえば、ただそれだけのこと、それだけのことで生き急いでいる。
死者にとってこの地が未練の終着点となるように、
わたし、たちにとっては川の向こう側が未練の終着点であったに過ぎない。
彼岸は「来し方」であり「帰し方」である。
わたし、たちは帰りたい。
そして、幽霊たちにまぎれて、あなた、がたとは離別したい。
最も残酷な裏切り方。
その裏切りの方法だけが、生存を支えているという皮肉。
それでしか生存を証明することができない、という皮肉。
***
上の長い厨2な文章は、大学入ってから書いた日記です。
たぶん2年か3年の冬だと思う。
なんだろうね。
基本的に日本語が不自由なので、
抱えているものを上手く言語化することが出来ないのです。
自分で読んでいる限りでは理解できるんだけれど、
説明するとなると非常に難しい。
ただ、この頃と感じていることとか、思っていることって
根本的にはたぶんあんまり変わらないんだと思う。
表象は違っているのかもしれないけれど。
それ以前の日記を見てもそんな感じなので、
よくも悪くも成長していないということらしい。
いつも間違える。
別に大学に限った話ではなくて、
中学も高校もそうだったんだけれど、
「あなた」との関係がどうしても上手くいかない。
それは友人か片思いの相手かに関係なく常にそう。
何処かで必ず間違える。
結果として、それが縁が切れるとこまでいくかいかないかの違いである。
そして、こんどこそ、とひそかに思いはするけれど、
同じ間違いを繰り返しては、自分の無能さに落胆する。
***
本当は感謝の言葉を最初に並べるべきなのだろうけれど、
感謝の言葉と別れの言葉が殆ど等しいために、
どうしても最初に置くことが出来なかった。
わたしたちは、あなたがたのことが大好きです。
大切でいとおしくて傍にずっといてほしいと思う。
それと同時に、憎くて憎くて仕方がない。
どうすれば大切にできるかも未だにわからない。
どうすれば出来るだけ傷が残らないように、傷つけれるのかわからない。
傷でしか愛がはかれないのです。
傷ついて、傷つけて、そういう関係の在り方しか知らないのです。
見つめて、微笑んで、そういう穏やかな在り方を知らないのです。
わたしたちはあなたがたを愛していると言いながら、
本当はあなたがたのことなんて見てもいなかった。
わたしたちが欲しかったのは、
あなたがたの身体であり手であり指先であり、
わたしたちが抱える理想を投影する具体的な物質でした。
あなたがたの精神ではなかった。
それでもわたしたちはあなたがたを失いたくない、と言う。
傲慢で我儘で自己中心的だと思いながら。
見捨てられて当然の人間を今までありがとう。
そしてさようなら。
縁がある人は再びごきげんよう。
縁のない人はお幸せに。
ごそつぎょうおめでとうございます。
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どっかで詩の研究もどきをしてる大学院生。
最近、太ったので危機的状況である(主に外見が)。
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