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「『わたし』とは誰なのか」という疑問の元を辿れば、
中学時代の脳みその傷痕であるよ。
「世界が崩れる」という表現を用いたが、
「世界」とはすなわち「わたし自身」のことです。
同性愛者の自分と異性愛者の自分の決して小さくない差異を、
どう埋めていいのかわからなかった。
もっとわかりやすく言えば、今まで1つであったものが、
外的圧力で無理に分裂させられたもんだから、
それを再構成する際に上手く統合することができなかった。

ただ、それだけのこと。

それだけのことなんだけど、これを解消するために
色々おかしな論理を持ち出し続けているわけです。

元々、同性愛者のわたしも異性愛者としてのわたしも
「わたしはわたしである」という自覚に内包されていたのだけれど、
突然「それは別のものだ」と言われてしまうとどうしようもなくて。
いや、言われてることは正論なのかもしれないけれど、
「異性愛者としてのわたし」がわたしではないのなら
(少なくても「同性愛者のわたし」を真とするなら、これは矛盾する)
「異性愛者として実在してしまっているわたし」は誰なのか、
という問題になってしまう。

この所在不明の何者かが、わたしではない、というのなら
わたしは、大部分の人間に認知すらされていない存在だから、
結果として「誰からも愛されない存在」になり下がるんですよね。
「同性愛者のわたし(という役割)」として、
必要とされることはあるかもしれないけれど、
無償の愛をわたしは受け取れない。
全ては所在不明の何者かに奪われてしまっている。

そう思ったら比喩ではなく、発狂しそうになった。
友達や親、教師すなわち他者が、わたしに微笑みかけたとしても、
それはわたしではない誰かに向けられたものに過ぎない、と。
こんなに淋しいことがあってたまるか、って。

そして同時に、ひどく不安になるのですよ。
本当は、「わたし」なんていなくて、
「所在不明の何者か」こそが「わたし」なのではないか、と。
今、こんなに確かに存在しているように思えるのに、
次の瞬間には誰もしらないうちに消え失せて、
それでも世界は何1つ動かないのかもしれない。

誰も「わたし」の消滅に気づかないかもしれない。

そんな考えが、いつもどこかを浮遊してる。
今でもふとした瞬間に、彼女・彼は、誰としゃべっているんだろうな、と考えてしまう。

いくら慣れても、耐えられない。
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