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課題のために書いた小説は、
35*40で10枚程度になりました。
ドッペルゲンガーのお話。
ライトノベルを下敷きに置いて構成してるので、
どこから読んでもライトノベルです。
本当にありがとうございました。
とりあえず、前回が表現のほうに重心をかけて書いたので、
今回はストーリーというか、そっちのほうに重心かけてみた。
なおかつ、描写の強さが出来るだけ変わらないようにもした。
というか、ピンポイントでくる描写の強さがアンバランス、と
指摘されたのでそこを直そうと思って書いてみた。
そしたら、インパクトのある描写が皆無になった(あの
正直に告白すれば、
自分でも書いてて失敗したと思う出来なので、
言い訳も擁護も出来ない。
基本的なテーマは「言葉のない存在とその救済」。
そこに付随する形で「意識と肉体の関係」と
「『自分は自分だ』とは、何を根拠に言えるのか」ということ。
そして、「言葉があるということによって引き受けねばならないもの」。
たぶん、真ん中の二つはありがちなので
ヘタクソでも伝わるんだろうな、と思うのだが、
最初と最後のは、どうなんだろうね。
タイトルでヒントは出してるけど。
一番最後は、たぶん本当に書きたかったんだろうけれど、
書き始めた当初は、それが自分には見えていなかった。
書き終えて読みなおして初めて気づいた。
だから結末部分で修正を試みたものの、失敗し、
そのまま提出した。
35*40で10枚程度になりました。
ドッペルゲンガーのお話。
ライトノベルを下敷きに置いて構成してるので、
どこから読んでもライトノベルです。
本当にありがとうございました。
とりあえず、前回が表現のほうに重心をかけて書いたので、
今回はストーリーというか、そっちのほうに重心かけてみた。
なおかつ、描写の強さが出来るだけ変わらないようにもした。
というか、ピンポイントでくる描写の強さがアンバランス、と
指摘されたのでそこを直そうと思って書いてみた。
そしたら、インパクトのある描写が皆無になった(あの
正直に告白すれば、
自分でも書いてて失敗したと思う出来なので、
言い訳も擁護も出来ない。
基本的なテーマは「言葉のない存在とその救済」。
そこに付随する形で「意識と肉体の関係」と
「『自分は自分だ』とは、何を根拠に言えるのか」ということ。
そして、「言葉があるということによって引き受けねばならないもの」。
たぶん、真ん中の二つはありがちなので
ヘタクソでも伝わるんだろうな、と思うのだが、
最初と最後のは、どうなんだろうね。
タイトルでヒントは出してるけど。
一番最後は、たぶん本当に書きたかったんだろうけれど、
書き始めた当初は、それが自分には見えていなかった。
書き終えて読みなおして初めて気づいた。
だから結末部分で修正を試みたものの、失敗し、
そのまま提出した。
言葉っていうのは、コミュニケーションツールなわけですよ。
そして、それは社会性を前提とした道具でもある。
五・一五事件において、犬養首相が「話せばわかる」と訴えたものの、
青年将校らの手によって「問答無用、撃て!」と射殺されてしまったように。
「話せばわかる」つまり「言葉で解決できる」というのは、
ちゃんと社会と繋がっている「言葉のある人」の傲慢さでしかない。
「言葉のない人」は最終的には、肉体とか暴力とか
言葉ではない別の手段によって訴えかけることしかできないのだと思う。
だから、リストカッターは手首を切るのだし、
子供は床に転がって駄々をこねるのだ。
結局、言葉によって訴えることが不可能だから、
最もわかりやすい形として存在する、
そしてあらゆるものが剥奪されたとしても
なお残るはずの道具である「肉体」を用いることで、
社会性を欠落した人間はコミュニケーションをとろうとする。
言葉のない人は、身体しか残ってない、と言い換えても良い。
しかしその方法は、言葉が氾濫したこの世界において、
あまりにも拙い。
一歩間違えれば、
「加藤の乱」のような凶悪犯罪に(結果的に)繋がってしまうあり方。
けれど、酒鬼薔薇聖斗がそうであるように、
そのような型式でしか救われない人間が確実に存在する。
***
そういう「言葉のない人」がこの世界に実在してしまっていること。
それを書きたかった。
のではない。
正確には、
実在しているそういう人をどうしたら救えるのか、
そして、それは本人が言葉を獲得するという困難な型式でしかあり得ない、
という現実が書きたかった。
殺されてあげる、という一つの救済方法。
***
それだけ強固な「言葉」というツールは、
当然、引き受けなければならない責任がいっぱいあって。
恐怖とか怒りとかではなく、苦しいという感覚。
そーゆーのも含めて、伝わればいいな、と思った。
そして、それは社会性を前提とした道具でもある。
五・一五事件において、犬養首相が「話せばわかる」と訴えたものの、
青年将校らの手によって「問答無用、撃て!」と射殺されてしまったように。
「話せばわかる」つまり「言葉で解決できる」というのは、
ちゃんと社会と繋がっている「言葉のある人」の傲慢さでしかない。
「言葉のない人」は最終的には、肉体とか暴力とか
言葉ではない別の手段によって訴えかけることしかできないのだと思う。
だから、リストカッターは手首を切るのだし、
子供は床に転がって駄々をこねるのだ。
結局、言葉によって訴えることが不可能だから、
最もわかりやすい形として存在する、
そしてあらゆるものが剥奪されたとしても
なお残るはずの道具である「肉体」を用いることで、
社会性を欠落した人間はコミュニケーションをとろうとする。
言葉のない人は、身体しか残ってない、と言い換えても良い。
しかしその方法は、言葉が氾濫したこの世界において、
あまりにも拙い。
一歩間違えれば、
「加藤の乱」のような凶悪犯罪に(結果的に)繋がってしまうあり方。
けれど、酒鬼薔薇聖斗がそうであるように、
そのような型式でしか救われない人間が確実に存在する。
***
そういう「言葉のない人」がこの世界に実在してしまっていること。
それを書きたかった。
のではない。
正確には、
実在しているそういう人をどうしたら救えるのか、
そして、それは本人が言葉を獲得するという困難な型式でしかあり得ない、
という現実が書きたかった。
殺されてあげる、という一つの救済方法。
***
それだけ強固な「言葉」というツールは、
当然、引き受けなければならない責任がいっぱいあって。
恐怖とか怒りとかではなく、苦しいという感覚。
そーゆーのも含めて、伝わればいいな、と思った。
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どっかで詩の研究もどきをしてる大学院生。
最近、太ったので危機的状況である(主に外見が)。
最近、太ったので危機的状況である(主に外見が)。
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