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たぶん普通の日記。 厨2病が混じっていることを除けば。
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Z の発言:
僕はやめます

Z の発言:
もうやめてるけどやめます

Z の発言:
さようなら

よぞら♪嘴食み の発言:
ぇー

よぞら♪嘴食み の発言:
なにになる?

Z の発言:
無に帰る

Z の発言:
帰れない

Z の発言:
有との差異化でしか存在できないから無にはなれない

Z の発言:
おいら何もなれない

よぞら♪嘴食み の発言:
無から有は生まれないので

よぞら♪嘴食み の発言:
有が無にはかえれないです

よぞら♪嘴食み の発言:
 

よぞら♪嘴食み の発言:
(*´ω`*)

Z の発言:
けれどわたしは無に帰るために生きているので

Z の発言:
その矛盾をなすためにいるのです

Z の発言:
だから帰ります

Z の発言:
未来に帰ります

よぞら♪嘴食み の発言:
みらいじんさんめ

Z の発言:
過去に到達するために未来に帰る!!11

よぞら♪嘴食み の発言:
あれ?

よぞら♪嘴食み の発言:
 

Z の発言:
過去が目的地なら始発点は未来でしょう

よぞら♪嘴食み の発言:
あれ?

よぞら♪嘴食み の発言:
 

Z の発言:
ニーチェの永劫回帰論は決して論理的ではないが、それを信じているのと同じことです

よぞら♪嘴食み の発言:
ほうほう

Z の発言:
つまりただの直観で物事をいい、それを信じているだけです
宗教とかわらないとわたしはいいました
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向かうべき方向の欠如
何もしないのであれば、人間なんざ過去から現在、そして未来へ到達するしかないのだ。
何かしたとしても、本来ならばそうなるしかない。
それでも、未来を拒む――否、拒まれる――ということ。
要するに人、総じて生き物としての在り方を完全に否定する――否定される――というのなら、
相応の覚悟と手段を用いなければなるまい。

受ける罰は選べなくても、犯す罪は選べる。

向かうべき方向、すなわち未来、を喪失して、過去にいくことを目的としたとき、
相対的未来である現在は常に帰還する場所であり、ゆえに過去はいつだって戦場だった。
過去は到達目標だから、現在のわたしはいつだって過去よりも脆弱でなければならなかったし、
過去からの断罪を甘んじて受け入れなければならなかった。

それでも良いと思えていた。
そこにしか行けないと――そこならいけると――思っていたから。

変更不可能な絶対的強者である「運命に対する敗北者」として
――そう、決して勝者にはなれないことを自覚した上で――
それでも玉砕覚悟で未来を糧に進み続けるしかない、ということ。
それは「悲劇ではない」。
わたしに敗者を勝者のごとく扱う術がないことでさえ、問題にはならない。

本質的で、それゆえに無視できないのは、


そもそも、「抗いがたき運命」そのものが「否定」されていたことだ。
つまり、わたしには、

過去なんて「なかった」。

***

わたしに付随する過去を否定されて、けれど未来には行けないから、
じゃあ何処へ向かえばいいの、っていう、ただそれだけの話。

未来は存在しないに等しく、実在するはずの過去は否定され、
結局わたしは現在から動きようがない。
いつか朽ち果てる。否、既に朽ち果てているも同然だから、
それは未来ではなく、単なる現在の喪失に過ぎないのだ。

わたしは、空しい。

結局、断絶された過去しか残されないのか。
それは切り離されているがゆえに、現在からは常に守られている。
けれど、今あるわたしと非連続の過去、つまりわたしでないわたしになることは、

どっちにしろ、「死んでいる」ことに変わりないんじゃないか。
代替可能。

代替可能である、という現実は苦しい。それは言いかえればつまり「お前なんていなくてもいい」ということでしかないから。ゆえに必死に目をそらして――人間の見る能力というのは実に性能が良いので、目をそらさなくても見えない状態であることすら可能なのであるが――生きている。

誰もが、例外なく。

そう、このことに関してわたしは「代替不能の唯一がいる」という例外を決して信じないし、認めない。人間は常に、全て、未来永劫「代替可能」である。そもそもわたしがいないことで世界に与える影響など殆どなく、仮にあったとしても世界そのものが実に矮小である。その細切れの現実に与えた影響が、どっかの脆弱な人間という生き物に伝わったとして、それがいったい何なのか。人間が哀しむことは、代替不能であることを肯定するか。否、断じて否。わたしがしなかったことは「絶対に」誰かがやり遂げる。破滅的な確信。わたしにしかできないことはない。少なくても「社会に組み込まれるというカタチでは」。それは役割だから。第一、世間様には唯一であることなど求められてもいない。

(そう信じなければ生きていけないはずだ。生きる重さに耐えられない。それは代替可能であるという現実の苦しさをはるかに凌駕してしまう。唯一であるということ。代理が存在しないということ。わたしは「わたし」であるということ。絶望的運命論。運命があるかないかは殆ど関係がなく、「わたしが選んだ」のではなく「わたしが選ばれている」という事実。何よりもそれが、神秘的な醜さのメッキに包まれた奇跡が、)
ポジティブとネガティブが混在したこの状態が気持ち悪い。
どこまでも上がっていくか、果てしなく落ちていけばいいものを。

願うものは手に入らないから、いつか必ず他の誰かのものになる。
それでも、まだその未来がこないなら、それまで生きていたいと思う。
けれどそれは、わたしが脆弱であることの証明に過ぎないでしょう。

いつだって絶望したいだけなのよ。
都合の良い未来なんて信じられないし。

信じられない世界なんて、現実ではないし。

感情論をたたきつけるのは、安心したいからです。
感情論ごときが論理に勝てるはずがない、と夢見ていたいからです。
だからわたしは、感情論によって論理に敗北し続けるべきなのです。

矮小なわたしによる歪んだ証明。

早く死ね!
それでも 恨みごとの一つが許されるなら
死にたくなかった と言うでしょう
殺されたくなかった と泣くでしょう
死人に口はないから 聞こえないだろうけれど
それでも コトバが屍にも残されているのなら

見ないで と叫ぶでしょう
気づいて と呼ぶでしょう

あなたがわたしの愛の消滅を知るには、わたしの死を知らなければならない。しかし、わたしの死があなたの精神に多少の影響を与えるであろうことを、わたしは知っている。あなたはきっと、自分とは無関係だという顔をして、わたしが記憶の彼方へ追いやられるように、日常に埋没していくのだろう。けれど蚊を叩き潰したとき、手にこびりつく何者かの血のように、わたしはわたしという形を失って、あなたの精神にこびりつく。愛の残骸。軽すぎた命の僅かな重み。だからわたしは知らないでいてほしい。わたしの死を。けれど、それは愛の生存を保障してしまうから、どちらかを選ばなければならない。わたしではない誰か、そう、あなたが。その瞬間が何よりも怖いのだ。あなたがわたしの死を見ることになったとき、神様が命を数え間違えるように、命の重さを量り間違えてしまうことが。

それでも コトバが屍にも許されているのなら
閻魔に舌を抜かれても言ってやる
ナザレの人の子のコトバを信用するな と
死者を葬るのは死者ではなく生者だ と
あなたが間違えることを願いながら

二度目の過ちで 今度はあなたが死ぬことを!
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