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小学校の頃も中学校の頃も、平和学習というのをやらされた。
高校でも修学旅行が沖縄だったから、一応やらされたな。
映画みて少し歴史の授業で話聞くくらいだったけどさ。
小学校の頃は記憶にないけど、中学の頃のことは記憶にある。
ピカソの描いたゲルニカに、ちぎり絵で色つけさせられて、
でかい日本地図の上に、死んだ人の数だけマッチ棒を立てさせられたりした。
色のついたゲルニカは未だに恨みとか後悔とか、
色々な型式でおいらの中に残っちゃったわけだけれど、
他の人たちはどうだったんだろうね。
あのファンタジーと化したゲルニカを見たときは、
ピカソに申し訳ないのと、そんなことをさせた教師への怒りがあったし、
マッチ棒が大量に立った日本地図を見たときは
なんてくだらないんだろうと笑った。
それがわたしの中学時代の総合学習であり、平和学習でした。
そうやって、わたしの戦争に対する学習は終わったんです。
戦争を身近に引き寄せるわけでもなく、
遠い世界の、ここではない何処かの話としてそれは終わった。
少なくとも学校という場においては。
***
わたしの祖母は、一応は戦争を経験している。
都会に住んでいた(らしい)祖母は、当時、疎開をしていたらしい。
都会っ子の祖母にとって、山での生活は辛く、
いつも運動は最下位でバカにされてたそうな。
ただ、勉強だけは良く出来たのでトップだったらしい。
はっきりいって、わたしが祖母の戦争の話で
まともに(というか詳しく)記憶しているのはこのくらいで、
あとは「楽しそう」なイメージしか残っていない。
もちろん、祖母が小学生のわたしのために、
面白おかしく語ったのはあるだろうけど。
そして、これがわたしと戦争の出会いでもあった。
要するに、わたしにとって戦争というのは、
非日常ゆえのお祭り騒ぎというか、そういうものとして受け取られたわけだ。
サッカーのワールドカップを見て、馬鹿騒ぎするのと同列というか、
あの気持ちの悪い、集団への帰依と異常な盛り上がり。
花火と爆弾が重なって見えるのはきっと重症なんだと思う。
そんな前提があるものだから、
悲劇だけを語られ、
悲惨さだけを強調されても受け入れられなかったんだよなぁ。
今でも受け入れられないけど。
***
戦争が悲劇で悲惨なのは自明なのだ、とある小説家は言った。
けれど、戦争の全てが悲劇で悲惨なのでもないのだ、ともその人は言った。
わたしもそう思う。
有名な小説家で三島由紀夫という人がいるが、
彼は戦争中、暇すぎて川端に手紙を書いているくらいである。
暇なときは、そして暇なところは、本当に暇だったのだ。
三島がレアケースなのかどうかは知らないが、
全てを悲劇にしようとするのはとても気持ちが悪いんだよね、だから。
なんていうか、腹黒い意図が見え隠れするというか、
洗脳したいという意図を感じる。
そりゃ、戦争はしないほうが良い。
悲劇で悲惨じゃない戦争なんてないんだから。
うちのばーちゃんだって、運よく生き残っていて
しかも後遺症もないから面白おかしく語れるのであって、
運悪く死んでれば、後遺症が残ったら、そんな風には出来なかったろうから。
でもねぇ、何かを一方的に悪いと断罪出来るほど、
人間様や世間様は偉くないと思うのですよ。
戦争を無条件に悪と定義してしまうと、
自分を守るために侵略から防衛行動に出ることですら
結果的に戦争を引き起こしたと断罪されかねないんじゃないかな。
それはとても怖いし、
そのように仕向けたがっている平和学習とやらは
ただの洗脳ですよね。
まあ、教育は洗脳と常に紙一重なのですが。
高校でも修学旅行が沖縄だったから、一応やらされたな。
映画みて少し歴史の授業で話聞くくらいだったけどさ。
小学校の頃は記憶にないけど、中学の頃のことは記憶にある。
ピカソの描いたゲルニカに、ちぎり絵で色つけさせられて、
でかい日本地図の上に、死んだ人の数だけマッチ棒を立てさせられたりした。
色のついたゲルニカは未だに恨みとか後悔とか、
色々な型式でおいらの中に残っちゃったわけだけれど、
他の人たちはどうだったんだろうね。
あのファンタジーと化したゲルニカを見たときは、
ピカソに申し訳ないのと、そんなことをさせた教師への怒りがあったし、
マッチ棒が大量に立った日本地図を見たときは
なんてくだらないんだろうと笑った。
それがわたしの中学時代の総合学習であり、平和学習でした。
そうやって、わたしの戦争に対する学習は終わったんです。
戦争を身近に引き寄せるわけでもなく、
遠い世界の、ここではない何処かの話としてそれは終わった。
少なくとも学校という場においては。
***
わたしの祖母は、一応は戦争を経験している。
都会に住んでいた(らしい)祖母は、当時、疎開をしていたらしい。
都会っ子の祖母にとって、山での生活は辛く、
いつも運動は最下位でバカにされてたそうな。
ただ、勉強だけは良く出来たのでトップだったらしい。
はっきりいって、わたしが祖母の戦争の話で
まともに(というか詳しく)記憶しているのはこのくらいで、
あとは「楽しそう」なイメージしか残っていない。
もちろん、祖母が小学生のわたしのために、
面白おかしく語ったのはあるだろうけど。
そして、これがわたしと戦争の出会いでもあった。
要するに、わたしにとって戦争というのは、
非日常ゆえのお祭り騒ぎというか、そういうものとして受け取られたわけだ。
サッカーのワールドカップを見て、馬鹿騒ぎするのと同列というか、
あの気持ちの悪い、集団への帰依と異常な盛り上がり。
花火と爆弾が重なって見えるのはきっと重症なんだと思う。
そんな前提があるものだから、
悲劇だけを語られ、
悲惨さだけを強調されても受け入れられなかったんだよなぁ。
今でも受け入れられないけど。
***
戦争が悲劇で悲惨なのは自明なのだ、とある小説家は言った。
けれど、戦争の全てが悲劇で悲惨なのでもないのだ、ともその人は言った。
わたしもそう思う。
有名な小説家で三島由紀夫という人がいるが、
彼は戦争中、暇すぎて川端に手紙を書いているくらいである。
暇なときは、そして暇なところは、本当に暇だったのだ。
三島がレアケースなのかどうかは知らないが、
全てを悲劇にしようとするのはとても気持ちが悪いんだよね、だから。
なんていうか、腹黒い意図が見え隠れするというか、
洗脳したいという意図を感じる。
そりゃ、戦争はしないほうが良い。
悲劇で悲惨じゃない戦争なんてないんだから。
うちのばーちゃんだって、運よく生き残っていて
しかも後遺症もないから面白おかしく語れるのであって、
運悪く死んでれば、後遺症が残ったら、そんな風には出来なかったろうから。
でもねぇ、何かを一方的に悪いと断罪出来るほど、
人間様や世間様は偉くないと思うのですよ。
戦争を無条件に悪と定義してしまうと、
自分を守るために侵略から防衛行動に出ることですら
結果的に戦争を引き起こしたと断罪されかねないんじゃないかな。
それはとても怖いし、
そのように仕向けたがっている平和学習とやらは
ただの洗脳ですよね。
まあ、教育は洗脳と常に紙一重なのですが。
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どっかで詩の研究もどきをしてる大学院生。
最近、太ったので危機的状況である(主に外見が)。
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