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なんでさ と問われても答えられない。
説明するのが面倒くさいし、
説明しても理解されないだろうし、
人間の存在なんてどうでもいいことだし。
なんでさ という、
その優しさがしみて痛いんだって。
説明するのが面倒くさいし、
説明しても理解されないだろうし、
人間の存在なんてどうでもいいことだし。
なんでさ という、
その優しさがしみて痛いんだって。
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きちんと比較できるのは、
そのためだけにとられたデータだけなんじゃないかと。
例えば世界陸上とか、オリンピックとか。
それでさえ、「そのときの成績」を示すだけだし。
WiiとPS3はよく比べられるけど、
あれだって同列に並べられるかは個人の「主観」の問題でしょう?
ゲームだから、と同列に並べる人もいれば、
ゲームだけど仕様が違いすぎると比較対象にしない人もいるわけで。
別にどっちが間違ってるとか、そういう話ではない。
要するに、「主観」なんですよ。
「主観」に対して「俺はこう思う」と言われても
「ああ、そう」「自分はそう思わない」
としか返せないわけで、それに対して
「理解できないならそれでいい」
「自然だと思うならずっとそう思ってればいい」
と、上から目線で偉そうに言うのは全く筋が通っていないと思う。
要するに、そのような主観に関する指摘・反論はそれ単独では意味をなさないのに、
最も重要な説明・説得という行為を驕りと面倒さから省いてしまうから、
反感を買ったり、相手を不快にさせたり、誰も指摘しなくなるんじゃないですかね。
納得したから、黙ってるわけじゃないのよ。
自分で「理解できないならそれでいい」と言ったように、
周りもそう思っているけど、口に出すと空気悪くなるから言わないだけ。
主観だから平行線をたどるのは普通のことだけど、
上から目線で自分の失敗は棚に上げ、人のことをバカにする、
その姿勢にうんざりなんですよ。
自分のようで。
そのためだけにとられたデータだけなんじゃないかと。
例えば世界陸上とか、オリンピックとか。
それでさえ、「そのときの成績」を示すだけだし。
WiiとPS3はよく比べられるけど、
あれだって同列に並べられるかは個人の「主観」の問題でしょう?
ゲームだから、と同列に並べる人もいれば、
ゲームだけど仕様が違いすぎると比較対象にしない人もいるわけで。
別にどっちが間違ってるとか、そういう話ではない。
要するに、「主観」なんですよ。
「主観」に対して「俺はこう思う」と言われても
「ああ、そう」「自分はそう思わない」
としか返せないわけで、それに対して
「理解できないならそれでいい」
「自然だと思うならずっとそう思ってればいい」
と、上から目線で偉そうに言うのは全く筋が通っていないと思う。
要するに、そのような主観に関する指摘・反論はそれ単独では意味をなさないのに、
最も重要な説明・説得という行為を驕りと面倒さから省いてしまうから、
反感を買ったり、相手を不快にさせたり、誰も指摘しなくなるんじゃないですかね。
納得したから、黙ってるわけじゃないのよ。
自分で「理解できないならそれでいい」と言ったように、
周りもそう思っているけど、口に出すと空気悪くなるから言わないだけ。
主観だから平行線をたどるのは普通のことだけど、
上から目線で自分の失敗は棚に上げ、人のことをバカにする、
その姿勢にうんざりなんですよ。
自分のようで。
あまりよろしくない。
まあ全面的に悪いのは自分なのでどうしようもないのだが、
どうしようもないからこそ苦しいと思う。
そもそもどうにもできないということさえ言い訳だろ、という声が聞こえる。
だからといって改善する気もさらさらないわけで。
端的にいえば、0と100しかないらしい。
正確には0と50と100の三つなんだろうけれど、
わたしにって50は0と殆どイコールだからあんまり意味がない。
「嫌いじゃない」ということは、裏を返せば「好きでもない」わけで
要するに50の位置にあるからこそ出てくるコトバなんだろうが
わたしにとって50は0と大差ないから、
そう言われてしまったら仲良くなんてできるはずもなく。
頭では理解できますよ?
もしかしたら、照れから100の回答を直接的に言いたくないだけなのかなって。
でも自分の存在をそんなに崇高なもんだと思ってないし、
そこまでポジティブに物事受け取れるだけの強さがあるなら
こんなネガティブな生き方していないわけで。
つーかできたら自分の親にあんな酷いコトバを吐き捨てたりはしません。
要するに理解はできても心がついてこない。
だから、機械的に50は0と同列とみなすようにしている。
そのほうが公平だし。
わたしはコトバを信じている、というよりは
コトバに希望をたくしている節がある。
コトバに伝達性があるといいなとは思うけれど、
実際にあるかと言われたらたぶん「あるけどない」んだと思う。
そういう半端な位置で宙ぶらりんなのがコトバなのだと。
どうでもいい、けど本当は大切だとか好きだとか
そんな風に都合よく信じられるくらい楽天家だったらよかったのに。
どうでもいいと言われて、愛想をふりまくことはできない。
どうでもいいと言われて、お友達面をすることもできない。
どうでもいいと言われて、怯えもせずに隣に座ることなどできない。
真意がどうであっても、どうでもいいと言われたら。
人の身体に触れるという行為は、コトバの代替にすぎないらしい。
それは何一つ言えることがないから、何一つ伝えられないから、
そして究極的にはコトバを信頼(したいけれど)できないから、
それでも社会的につながろうとするバカげた生き物の最後の拠り所にすぎぬ。
哀しいけれど断絶していて、それを埋める方法がわからない。
まあ全面的に悪いのは自分なのでどうしようもないのだが、
どうしようもないからこそ苦しいと思う。
そもそもどうにもできないということさえ言い訳だろ、という声が聞こえる。
だからといって改善する気もさらさらないわけで。
端的にいえば、0と100しかないらしい。
正確には0と50と100の三つなんだろうけれど、
わたしにって50は0と殆どイコールだからあんまり意味がない。
「嫌いじゃない」ということは、裏を返せば「好きでもない」わけで
要するに50の位置にあるからこそ出てくるコトバなんだろうが
わたしにとって50は0と大差ないから、
そう言われてしまったら仲良くなんてできるはずもなく。
頭では理解できますよ?
もしかしたら、照れから100の回答を直接的に言いたくないだけなのかなって。
でも自分の存在をそんなに崇高なもんだと思ってないし、
そこまでポジティブに物事受け取れるだけの強さがあるなら
こんなネガティブな生き方していないわけで。
つーかできたら自分の親にあんな酷いコトバを吐き捨てたりはしません。
要するに理解はできても心がついてこない。
だから、機械的に50は0と同列とみなすようにしている。
そのほうが公平だし。
わたしはコトバを信じている、というよりは
コトバに希望をたくしている節がある。
コトバに伝達性があるといいなとは思うけれど、
実際にあるかと言われたらたぶん「あるけどない」んだと思う。
そういう半端な位置で宙ぶらりんなのがコトバなのだと。
どうでもいい、けど本当は大切だとか好きだとか
そんな風に都合よく信じられるくらい楽天家だったらよかったのに。
どうでもいいと言われて、愛想をふりまくことはできない。
どうでもいいと言われて、お友達面をすることもできない。
どうでもいいと言われて、怯えもせずに隣に座ることなどできない。
真意がどうであっても、どうでもいいと言われたら。
人の身体に触れるという行為は、コトバの代替にすぎないらしい。
それは何一つ言えることがないから、何一つ伝えられないから、
そして究極的にはコトバを信頼(したいけれど)できないから、
それでも社会的につながろうとするバカげた生き物の最後の拠り所にすぎぬ。
哀しいけれど断絶していて、それを埋める方法がわからない。
どこかにいるかもしれない、
奇特な人を愛して
その人に愛されて
おぞましい事件の起きない平和な場所で、
静かにわらって暮らしたかっただけなんだ。
そして、そうするには
わたしはあまりにも生真面目すぎた。
もしくは、脆弱すぎた。
もう悩まなくてもいいですか。
本当は、死んだ人を愛したかったのでも、
紙に書かれた文字に愛されたかったのでもない。
それでも、根拠のない確信によって断言できる。
それしか残っていない、と。
奇特な人を愛して
その人に愛されて
おぞましい事件の起きない平和な場所で、
静かにわらって暮らしたかっただけなんだ。
そして、そうするには
わたしはあまりにも生真面目すぎた。
もしくは、脆弱すぎた。
もう悩まなくてもいいですか。
本当は、死んだ人を愛したかったのでも、
紙に書かれた文字に愛されたかったのでもない。
それでも、根拠のない確信によって断言できる。
それしか残っていない、と。
差別する側には差別する側の事情がある。
いじめに加担せざるを得ない人間がいるように、
差別に加担せざるを得ない人間なんていっぱいいる。
同調圧力だってあるし、誰だって自分が被害者にはなりたくない。
だから、差別する側自体をあまり責めたくないし、
わたしにはその資格がない。
いじめを傍観することはわたしにもあったし、
差別やいじめに限らず、
内的必然性というのは誰にだってあるものだから。
むかつくのは、権力者の言葉を引用して自分が正しいと誇らしげに語るその姿だ。
***
と、書くと差別を容認してるとか言われそうなのでチラシの裏いき。
なんで差別される側に立ってるわたしが容認しなきゃいけないのか意味不明だが、
というか、どうしてそう一面的な見方でしか物事を判断できないのか、
理解に苦しむ。
わたし並に尖鋭化した人間が社会にはゴロゴロしているらしいな。
とても気持ちが悪い。
はっきりいってそんな人間は病的だし社会に出て生活すべきじゃないよ(傲慢
***
差別問題になると、どうして「犯人探し」が始まるんだろう。
そんなのはもう既にどうでもよくて
(誰かがそれで責任をとってくれるわけでもないし)
これからどうしたらそれをなくしていけるかが問題なんじゃないのか。
犯人を断罪すればなくなるのか?
そんなバカな。
***
これもまた傲慢なんだけれど、
あなたがたは差別やいじめのために何かをしなくても良いと思う。
当事者意識を持つ必要性すらない気がする
だって所詮は他人事だもの。
あなたがたにとってそれらは冥王星より遠いのだ。
だから無理をして差別をやめるとかいじめに加担しないとか、
そんなことをするくらいなら自分の身を守るべきなんだ。
自分を守ってくれるのは自分だけ。親でも教師でも友人でもない。
ただ教育においてのみ、それで罪悪感を感じる人間は、
ネガティブな同調圧力を出来る限り減らすように努力すればいいんじゃないかと。
わたしがしているのはその程度の、そして大き過ぎる期待です。
いじめに加担せざるを得ない人間がいるように、
差別に加担せざるを得ない人間なんていっぱいいる。
同調圧力だってあるし、誰だって自分が被害者にはなりたくない。
だから、差別する側自体をあまり責めたくないし、
わたしにはその資格がない。
いじめを傍観することはわたしにもあったし、
差別やいじめに限らず、
内的必然性というのは誰にだってあるものだから。
むかつくのは、権力者の言葉を引用して自分が正しいと誇らしげに語るその姿だ。
***
と、書くと差別を容認してるとか言われそうなのでチラシの裏いき。
なんで差別される側に立ってるわたしが容認しなきゃいけないのか意味不明だが、
というか、どうしてそう一面的な見方でしか物事を判断できないのか、
理解に苦しむ。
わたし並に尖鋭化した人間が社会にはゴロゴロしているらしいな。
とても気持ちが悪い。
はっきりいってそんな人間は病的だし社会に出て生活すべきじゃないよ(傲慢
***
差別問題になると、どうして「犯人探し」が始まるんだろう。
そんなのはもう既にどうでもよくて
(誰かがそれで責任をとってくれるわけでもないし)
これからどうしたらそれをなくしていけるかが問題なんじゃないのか。
犯人を断罪すればなくなるのか?
そんなバカな。
***
これもまた傲慢なんだけれど、
あなたがたは差別やいじめのために何かをしなくても良いと思う。
当事者意識を持つ必要性すらない気がする
だって所詮は他人事だもの。
あなたがたにとってそれらは冥王星より遠いのだ。
だから無理をして差別をやめるとかいじめに加担しないとか、
そんなことをするくらいなら自分の身を守るべきなんだ。
自分を守ってくれるのは自分だけ。親でも教師でも友人でもない。
ただ教育においてのみ、それで罪悪感を感じる人間は、
ネガティブな同調圧力を出来る限り減らすように努力すればいいんじゃないかと。
わたしがしているのはその程度の、そして大き過ぎる期待です。
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どっかで詩の研究もどきをしてる大学院生。
最近、太ったので危機的状況である(主に外見が)。
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