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ちょろっとプロットの話が出たのでそれでも。
小説を書く上で、その方法なんていうのは腐るほどある。
何も考えずに書き始める奴もいれば、ちゃんと構成を考えて書く奴もいる。
でも偉大なる芥川先生が
「数学ができねー奴に小説なんて書けねーよ」
と言ったように、
ある程度の論理力、構成力が物語を作る上で必要なのは言うまでもない。
どうでもいい蛇足を付け加えると、
芥川先生の小説というのは、基本的に話の筋で魅せるタイプのものだった、
というのは誰もが知っていると思う。
羅生門にせよ、他の作品にせよ、『晩期以外の作品は』そう。
題材を余所から持ってきて、アレンジし、論理的に組みたてる。
そういうのが得意な人でした。
ただ、晩年――早すぎた晩年だったが――になって、
彼は自分に自信が持てないようになり、
自分が最も批判していた私小説の方向へ進むことになるわけです。
だから、あんまり晩年のは面白くない。
そもそも、話の筋で魅せるような作品じゃないんだけども。
蜃気楼とか、うーん、あんまりね。
話が逸れた。
で、プロットの話なんだけれど、実は自分もよく知らない。
というのも、小説を書くことがあんまりないからなんだけど、
(小説の方法論にもあんまり興味がない。知り合いにそのマニアはいるが)
それでもまあ、
「小説を書く前にはプロットを作りましょう」
ぐらいは知っているわけだ。
じゃあ、具体的にプロットってなんなんだぜ、というと
よくわかっていない。
他人のプロットを見たこともあまりないし、記憶にない。
自分の場合、とりあえずテーマを最初に設定する。
テーマは別になんでもいい。
伝えたいこととか、そんな凄そうなもんじゃなくて、
例えば、こんな場面を書いてみたいなぁ、とかそういうのを決める。
おいらの場合は、場面よりも大抵は、
現実では言いたいけど言えないことをそこに置いちゃう。
知り合いは、サロメを読んで触発されて、
美しいキスシーンを書きたいとか言って、そういう話を書いてた。
次にストーリーというか、大まかな筋を決める。
別に設定が先でも良いと思う。ここら辺は人と場合によるのでは。
どうしても設定が先にあると、それを変更するのは難しいので
(登場人物の場合、性格が矛盾してくる可能性があるため)
先に話の筋を作るほうがやりやすい人もいるだろうし、
逆に人物のリアリティを出すために、
(筋に合わせた人物制作は、作者のご都合主義キャラを産みやすい)
設定を先に決める人もいるかもしれない。
で、最後に、そのテーマを支えられる設定を作る。
最後に、とは書いたけど、実際はテーマよりも先にこっちが出来る場合もある。
というか、テーマと設定がほぼイコールのことがある。
大抵の場合、小説だとか漫画は登場人物(人でないかもしれない)が
動くことによって話が進行していくので、
その登場人物が登場人物らしく行動し発言し考えなければならんわけだ。
そうしないと、その人物が場面から浮いてしまうか、
もしくは浮かないように踏ん張るあまり、
作者の意図した人格とは別の人格を持つことになる。
あとは単純に、読者から反感を買う。
「コイツ、矛盾しまくってて食えない野郎だ」と言われてしまう。
ちなみに、おいらは筋は大まかに考えただけで書き始める。
単に取りかかるの遅いので時間がないのと、
(おいらが、締め切りもないのに書くわけがないだろう)
あまりに細部まで決めると融通がきかなくなって、主人公が大変そうだから。
書いているうちに「ここはこうしないとおかしいな」くらいは感じるので、
それにあわせて適当に修正したり消したり色々。
まあ、数学の出来ないおいらがうだうだ書いても仕方のないことであった。
描写というか、コマ割というか、場面の見せ方で言えば、
芥川先生の羅生門は大変参考になると思う。
あれは芥川先生の頭の良さがよくわかる小説で、
どんだけ一つの小説を書くのに、あの人が練っていたかがわかる。
本来ならああいうレベルでプロットは作るべきなんだろうとは思うが、
面倒くさくて本編書き始める前に投げてしまいそうなのでやっていない。
川端だか三島だかも文章読本書いてるな。
読もうと思ってそのまんまだわ。
小説を書く上で、その方法なんていうのは腐るほどある。
何も考えずに書き始める奴もいれば、ちゃんと構成を考えて書く奴もいる。
でも偉大なる芥川先生が
「数学ができねー奴に小説なんて書けねーよ」
と言ったように、
ある程度の論理力、構成力が物語を作る上で必要なのは言うまでもない。
どうでもいい蛇足を付け加えると、
芥川先生の小説というのは、基本的に話の筋で魅せるタイプのものだった、
というのは誰もが知っていると思う。
羅生門にせよ、他の作品にせよ、『晩期以外の作品は』そう。
題材を余所から持ってきて、アレンジし、論理的に組みたてる。
そういうのが得意な人でした。
ただ、晩年――早すぎた晩年だったが――になって、
彼は自分に自信が持てないようになり、
自分が最も批判していた私小説の方向へ進むことになるわけです。
だから、あんまり晩年のは面白くない。
そもそも、話の筋で魅せるような作品じゃないんだけども。
蜃気楼とか、うーん、あんまりね。
話が逸れた。
で、プロットの話なんだけれど、実は自分もよく知らない。
というのも、小説を書くことがあんまりないからなんだけど、
(小説の方法論にもあんまり興味がない。知り合いにそのマニアはいるが)
それでもまあ、
「小説を書く前にはプロットを作りましょう」
ぐらいは知っているわけだ。
じゃあ、具体的にプロットってなんなんだぜ、というと
よくわかっていない。
他人のプロットを見たこともあまりないし、記憶にない。
自分の場合、とりあえずテーマを最初に設定する。
テーマは別になんでもいい。
伝えたいこととか、そんな凄そうなもんじゃなくて、
例えば、こんな場面を書いてみたいなぁ、とかそういうのを決める。
おいらの場合は、場面よりも大抵は、
現実では言いたいけど言えないことをそこに置いちゃう。
知り合いは、サロメを読んで触発されて、
美しいキスシーンを書きたいとか言って、そういう話を書いてた。
次にストーリーというか、大まかな筋を決める。
別に設定が先でも良いと思う。ここら辺は人と場合によるのでは。
どうしても設定が先にあると、それを変更するのは難しいので
(登場人物の場合、性格が矛盾してくる可能性があるため)
先に話の筋を作るほうがやりやすい人もいるだろうし、
逆に人物のリアリティを出すために、
(筋に合わせた人物制作は、作者のご都合主義キャラを産みやすい)
設定を先に決める人もいるかもしれない。
で、最後に、そのテーマを支えられる設定を作る。
最後に、とは書いたけど、実際はテーマよりも先にこっちが出来る場合もある。
というか、テーマと設定がほぼイコールのことがある。
大抵の場合、小説だとか漫画は登場人物(人でないかもしれない)が
動くことによって話が進行していくので、
その登場人物が登場人物らしく行動し発言し考えなければならんわけだ。
そうしないと、その人物が場面から浮いてしまうか、
もしくは浮かないように踏ん張るあまり、
作者の意図した人格とは別の人格を持つことになる。
あとは単純に、読者から反感を買う。
「コイツ、矛盾しまくってて食えない野郎だ」と言われてしまう。
ちなみに、おいらは筋は大まかに考えただけで書き始める。
単に取りかかるの遅いので時間がないのと、
(おいらが、締め切りもないのに書くわけがないだろう)
あまりに細部まで決めると融通がきかなくなって、主人公が大変そうだから。
書いているうちに「ここはこうしないとおかしいな」くらいは感じるので、
それにあわせて適当に修正したり消したり色々。
まあ、数学の出来ないおいらがうだうだ書いても仕方のないことであった。
描写というか、コマ割というか、場面の見せ方で言えば、
芥川先生の羅生門は大変参考になると思う。
あれは芥川先生の頭の良さがよくわかる小説で、
どんだけ一つの小説を書くのに、あの人が練っていたかがわかる。
本来ならああいうレベルでプロットは作るべきなんだろうとは思うが、
面倒くさくて本編書き始める前に投げてしまいそうなのでやっていない。
川端だか三島だかも文章読本書いてるな。
読もうと思ってそのまんまだわ。
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どっかで詩の研究もどきをしてる大学院生。
最近、太ったので危機的状況である(主に外見が)。
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