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厳密には読書に分類するのはおかしいのだが、
本の記録なんて面倒でつけてないのでこっち。

ようやく重い腰をあげ、研究もどきに取り掛かったわけです。
で、『幼年連祷』(本来は旧字なのだが検索よけもかねてこっちの字)を
メインに見ていくつかメモを残して思いました。
あとついでに夏の墓まで終わらせたいのでそっちも明日にでも書くかも。

***

詩集『幼年連祷』は、吉原が出した最初の詩集です。
で、彼女曰く「子供のわたし篇」だと。
これと対になるのが次に出た詩集『夏の墓』で、
こちらは「をんなのわたし篇」ということになっています。

んで、なんで夏の墓まで終わらせたいのか、っていうと
対とは言っているものの、実際は二冊で一冊だとご本人が認識しているからです。
まあこれはいらない蛇足だろう。

***

さて、『幼年連祷』そのものの構成について話そう。
この詩集は大きなタイトルが6つ付いている。
つまり、作者は6つにこの中に入った詩を分類している。

「けものたち」「幼年連祷1」「幼年連祷2」
「幼年連祷3」「幼年連祷4」「かなしいおとなのうた」

この6つである。
はっきりいってこれ見ただけじゃどんな詩が入ってるのか、
ぶっちゃけよくわからないと思う。おいらもわからない。

ただ、この詩集の詩の性質によって分類せよと言われれば、
ある程度の人間がおいらと似たような分け方をするのではないかと思う。
『幼年連祷』に収録された詩は、基本的に以下の4つに分類できる。


・1:幼年の再体験を元にした詩

吉原の詩作動機の一つは、「幼年に拘る自分の発見」であった。
そして、彼女が自身の幼年時代を紛い物だと思っているという事実は、
『幼年連祷』を読む上で絶対に必要な条件でもある。

彼女は自身が抱える「純粋病」(ある種のピーターパンシンドローム、
それが間違いなら、文字通り「純粋」であることに対する絶対的な信仰)を
「幼年」というキーワードによって解剖しようとした。
が、そのとき彼女を襲ったのは、
自分が幼いころつけさせられていた日記の中身よりも、
もっと肉感的で、リアルな、幼年としての再体験であった。
(たぶん一般的な言い方をすれば「回想」なのだが、
それがあまりにも本当であるはずの日記よりも本当に近いと彼女が信じたために、
「再体験」という言葉をあてられたのだろう。いらない補足)

だから、ここに分類しているのは、
そういう彼女の再体験した幼年をテーマにした詩である。
もっとわかりやすくすれば、日記に決して書くことが出来なかった事実。
例えば、お祭りに一人で行ったこと(日記にはかけなかった)、
「愛しているかためしたのよ」とませたことを言う友人の女の子のこと、
父親を駅まで迎えに行ったが曜日を間違えたために会えなかったこと、
といった類の詩を、ここに分類している。


・2:子供に対する詩

「Jに」といった自分の子や他の子供に向けた(題材にした)詩のこと。
必然的にメッセージ性の強いものが多くなっている。
タイトルから1とは区別できることもあるものの
幼年をテーマにしたという意味では1とかなり近い部類である。

とある詩人が指摘したように、
「幼年」という場は「秘密の残酷劇がとり行われる場所」でもある。
そのために残酷な詩(例えばトンボの羽をもいでしまうとか)も多い。


・3:自分が幼年でないことを認めている詩

1で「幼年の再体験」を詩にした、と言ったが、
それはイコール「吉原自身が幼年である」ことを意味しない。
彼女が幼年を再体験出来たのが、特質的な素質によるものだとしても、
彼女は子供ではありえないのである。

というのも、2にも関わってくるが、子供の「残酷性」というのは、
結局「大人の視点」によって決められたものであるから、
「子供自身は己の残酷性を容認どころか認識すらしない」。
彼女は、その残酷性を残酷だと理解しながら描いている。
それは「子供には絶対に出来ない」ことの証明である。

説明してもわかりにくいと思うので、
適当に具体例をいくつか引用しよう。

あんなにも ほしがられたものが
あれからのわたしに あったらうか いくつ

(「じゃんけん」)

それがどんなに まばゆいことだったか
大きくなったからこそ わたしにわかる
(中略)
わたしは "えうねん"を はじめて生きる

(「喪失ではなく」)

失ったまま 知らなくなって 長いときがたって
わらはないでいいひとが わらふのだった
死なないでいいけものが 死ぬのだった
(中略)
わたしの日々は 鳴ってゐた
  ――大きくなりたいよう
  ――大きくなりたいよう
いま それは鳴ってゐる
  ――小ちゃくなりたいよう!

(「喪失」)


・4:その他

動物をメインに置いたものや、死生観や哲学をテーマにしたものなど。
上記3つに分類しにくかったり、独立していたりするものを含む。

動物をメインにしたものであれば、
一番最初に置かれた「くらい森」などがそうである。
自分が拾ってきて1カ月くらいで死んでしまった犬の詩などもある。
「生きものの夏」などは、
彼女が人間と動物の関係をどのようにとらえているのか垣間見える詩であろう。
吉原は、人間を動物の上位に置くような発想は、どうやらなかったらしい。

死生観や哲学で言えば、有名な「無題」があてはまる。
他には潰した蚊から出た血を見て「この蚊はわたしではないか」という詩など。

独立しているものとしては、「人さらい」があげられるだろう。
怪しくそれでいて不気味なこの詩が、
1に属するとは確信を持っていないために、なんとも言い難い。


分類することに意味があるのか、と言われると困ってしまうのだが、
少なくとも彼女の性質を知ることや、その証拠集めには効果的なんじゃないかと思う。
事実、彼女の子供の書き方は当時の一般的な詩人と比べると、少々特質的である。
そのような要素が、彼女の「幼年の再体験」にあることは明白である。

***

やたら長くなった。
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