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曼珠沙華とは、白い彼岸花のことだと思っていた。
赤い彼岸花は彼岸花、白い彼岸花は曼珠沙華。
そう本気で勘違いをしていた。
彼岸花も曼珠沙華も同じ花を示す記号に過ぎない。
色で名前をわけられているわけでもない。
あくまで、彼岸花=曼珠沙華なのだ。
ただ、仏教でいう曼珠沙華は白い色をしているらしい。
(正確には「白く柔らかな花」であり、
実際の彼岸花とはそもそも異なるそうだが)
なんでそんな勘違いをしたかというと、
彼岸花を知っていて曼珠沙華を知らない頃に、
友人から白い花の写真を見せられてこう言われたからだ。
「曼珠沙華が咲いてたの」
もしかしたら、曼珠沙華という名詞の前には、
「白い」という形容詞もあったかもしれないが、定かではない。
わたしはその写真の花を曼珠沙華だと記憶した。
どこかで見たことがある花だ、と感じつつも。
結局その勘違いは、
曼珠沙華の写真を見せてくれた友人本人に砕かれたのだが
それまでの間、ずっと記号の意味するところを勘違いしていたわけだ。
彼岸花と曼珠沙華が同じ意味になったとき、なんとなくさびしかった。
ちなみに、友人がなぜ一般的であろう彼岸花ではなく、
曼珠沙華という言い方をしていたのかというと
「そのほうが綺麗だから」
だそうだ。
音とか、字とか。
なるほど、確かに彼岸花よりは美しいかもしれない。
それでも、未だにわたしは、
白い彼岸花を曼珠沙華と呼び、赤い彼岸花を彼岸花と言う。
深い意味はない。
なんとなく気持ち悪いからそうする。
一度、疑いなく心の奥底から素直に信じてしまったことは、
間違いだと気づいても修正することが難しいらしい。
そんな友人とのやり取りも今となっては、
曼珠沙華の花言葉通りでしかないが、
それでも忘れたくないために無意味な言語化を試みる。
本当は、わたしが友人に示すべき花だったのだが、
それももう叶わないことなのでどうでもいいのだろう。
赤い彼岸花は彼岸花、白い彼岸花は曼珠沙華。
そう本気で勘違いをしていた。
彼岸花も曼珠沙華も同じ花を示す記号に過ぎない。
色で名前をわけられているわけでもない。
あくまで、彼岸花=曼珠沙華なのだ。
ただ、仏教でいう曼珠沙華は白い色をしているらしい。
(正確には「白く柔らかな花」であり、
実際の彼岸花とはそもそも異なるそうだが)
なんでそんな勘違いをしたかというと、
彼岸花を知っていて曼珠沙華を知らない頃に、
友人から白い花の写真を見せられてこう言われたからだ。
「曼珠沙華が咲いてたの」
もしかしたら、曼珠沙華という名詞の前には、
「白い」という形容詞もあったかもしれないが、定かではない。
わたしはその写真の花を曼珠沙華だと記憶した。
どこかで見たことがある花だ、と感じつつも。
結局その勘違いは、
曼珠沙華の写真を見せてくれた友人本人に砕かれたのだが
それまでの間、ずっと記号の意味するところを勘違いしていたわけだ。
彼岸花と曼珠沙華が同じ意味になったとき、なんとなくさびしかった。
ちなみに、友人がなぜ一般的であろう彼岸花ではなく、
曼珠沙華という言い方をしていたのかというと
「そのほうが綺麗だから」
だそうだ。
音とか、字とか。
なるほど、確かに彼岸花よりは美しいかもしれない。
それでも、未だにわたしは、
白い彼岸花を曼珠沙華と呼び、赤い彼岸花を彼岸花と言う。
深い意味はない。
なんとなく気持ち悪いからそうする。
一度、疑いなく心の奥底から素直に信じてしまったことは、
間違いだと気づいても修正することが難しいらしい。
そんな友人とのやり取りも今となっては、
曼珠沙華の花言葉通りでしかないが、
それでも忘れたくないために無意味な言語化を試みる。
本当は、わたしが友人に示すべき花だったのだが、
それももう叶わないことなのでどうでもいいのだろう。
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近現代の詩人を簡潔に解説してる、
とても良いサイトがあったのですが、
なくなったんですかね。
そうだとしたら残念だなぁ、と思った次第。
躁と鬱の起伏っていうんですかね。
振れ幅が大きくて少ししんどい。
いわゆるマリッジブルーあたりと似たような理由だと思う。
やるべきことを終えて、あとは卒業するだけだから、それで。
もしくは、選択した自分の未来に対する後悔もあるのかもしれない。
いくら言い訳したって、おいらが逃げたことには変わりない。
なんだろ、何してもきっと後悔しかしない時期、ってありません?
感覚的に。感情的に。
そういう時期なんだろうさ。
そろそろ携帯変えたい。
あとバイト探しとか色々。
とても良いサイトがあったのですが、
なくなったんですかね。
そうだとしたら残念だなぁ、と思った次第。
躁と鬱の起伏っていうんですかね。
振れ幅が大きくて少ししんどい。
いわゆるマリッジブルーあたりと似たような理由だと思う。
やるべきことを終えて、あとは卒業するだけだから、それで。
もしくは、選択した自分の未来に対する後悔もあるのかもしれない。
いくら言い訳したって、おいらが逃げたことには変わりない。
なんだろ、何してもきっと後悔しかしない時期、ってありません?
感覚的に。感情的に。
そういう時期なんだろうさ。
そろそろ携帯変えたい。
あとバイト探しとか色々。
提出しました。
電波すぎて指導してくださった准教授から
「これ、電波すぎて意味わからないから説明して」
とか試問で言われそうだけど。
でも終わった。とにかく終わったんだ。
それに対する課題は山ほどあるが。
そもそも論文を書くのはもちろん、
2万字も書くのが初めてだったので大変でした。
2000字のレポート*10とかとは次元が違う。
2万字で全てが繋がってなければいけない、って案外大変だ。
大変と言えば、主題やテーマを絞り込むのも辛かった。
漠然とやりたいことがあっても、絞り込みが上手くいかないと書けない。
書けない以前に資料を集められない。
おいらはマイナー作家だから良かったけど、芥川とかメジャーどころだと
上手く絞らないと恐ろしいほどの参考文献を読むはめになる。
あと、自分の常識のなさに絶望した。
ここでいう常識っていうのは世間一般における常識、
例えば上座はどこでー、とかそういうんじゃなく、
論文を書く上で「こんくらいの本は読んでて当然でしょ」っていうやつ。
何かを論じるときに必要なのはむしろそういう常識のほうだと感じた。
というか、哲学系の本をちゃんと読むべきなんだと思う。
文学と繋がりすぎてて、ここの知識がないと本当にきつい。
あと新書とかも適当に読んどくべきだ。
それすら読まなかった自分もどうかと思うんだけど
終わったことだし仕方ない。
いつかリベンジしたいな、という気持ちはあるけれど、
もう勘弁してほしいな、というのも正直なところなので、
修士では別の観点からやって、しばらく卒論はねかせたいと思います。
17日のレポート提出まではしばらく余裕があるので、
とりあえず荒れ果てた部屋をどうにかしたい。
新年の目標はいっても達成できた試しがないので
言わなくてもいいかなと思ったけど、
一応自分のために書いておくと、本をもっと読む、です。
電波すぎて指導してくださった准教授から
「これ、電波すぎて意味わからないから説明して」
とか試問で言われそうだけど。
でも終わった。とにかく終わったんだ。
それに対する課題は山ほどあるが。
そもそも論文を書くのはもちろん、
2万字も書くのが初めてだったので大変でした。
2000字のレポート*10とかとは次元が違う。
2万字で全てが繋がってなければいけない、って案外大変だ。
大変と言えば、主題やテーマを絞り込むのも辛かった。
漠然とやりたいことがあっても、絞り込みが上手くいかないと書けない。
書けない以前に資料を集められない。
おいらはマイナー作家だから良かったけど、芥川とかメジャーどころだと
上手く絞らないと恐ろしいほどの参考文献を読むはめになる。
あと、自分の常識のなさに絶望した。
ここでいう常識っていうのは世間一般における常識、
例えば上座はどこでー、とかそういうんじゃなく、
論文を書く上で「こんくらいの本は読んでて当然でしょ」っていうやつ。
何かを論じるときに必要なのはむしろそういう常識のほうだと感じた。
というか、哲学系の本をちゃんと読むべきなんだと思う。
文学と繋がりすぎてて、ここの知識がないと本当にきつい。
あと新書とかも適当に読んどくべきだ。
それすら読まなかった自分もどうかと思うんだけど
終わったことだし仕方ない。
いつかリベンジしたいな、という気持ちはあるけれど、
もう勘弁してほしいな、というのも正直なところなので、
修士では別の観点からやって、しばらく卒論はねかせたいと思います。
17日のレポート提出まではしばらく余裕があるので、
とりあえず荒れ果てた部屋をどうにかしたい。
新年の目標はいっても達成できた試しがないので
言わなくてもいいかなと思ったけど、
一応自分のために書いておくと、本をもっと読む、です。
ぶっちゃけ、あんまりおめでたくないのですが。
主に卒論的な意味で。
今年もよろしくお願いします。
***
抱負、というのを書くべきなんでしょうが、
あんまり考えてないのでいつか書くかもしれない。
でもきっと書かないだろうなぁ。
あんまり目標がないです。
とりあえず、本をいっぱい読まなきゃなぁ、とは思う。
主に卒論的な意味で。
今年もよろしくお願いします。
***
抱負、というのを書くべきなんでしょうが、
あんまり考えてないのでいつか書くかもしれない。
でもきっと書かないだろうなぁ。
あんまり目標がないです。
とりあえず、本をいっぱい読まなきゃなぁ、とは思う。
坂口安吾の堕落論とか続・堕落論とか読んでて思った。
続・堕落論における彼の指摘は、現在でも通用するレベルの根深いものだった。
要するに、「みんな無責任すぎる」ってことの指摘。
全ての責任を他人に押しつけるからくり、すなわちシステムがあるのだと。
それは具体的に名指ししてしまえば、天皇制だとか武士道だとか、
そういうものだと安吾は言っている。
戦中、多くの人間が国粋主義に傾倒し、戦争を賛美したわけだが、
戦後、その多くの傾倒した人々は、今度は戦争反対と無反省に叫び始めたわけだ。
被害者面したんですよ、彼らは。
「天皇陛下のご命令だから仕方がない」と言い訳して、
戦争をし、そして戦争を止めたんです。
本当は自分たちが死にたくないだけなくせに。
そのくせ、権力暴力に怯えて自分からは言い出せない脆弱な生き物のくせに。
いや、だからこそ、彼らは全てを他人の、システムの所為にしたんだ。
天皇制に限らず、世間一般論とやらもからくりの一つに過ぎない。
みんながそう言うから、世間体が悪いから、社会的に仕方がないから。
卑怯だ。卑怯だ。卑怯だ。
自分で責任を負おうとしない態度は卑怯だ。
しかもそれを自覚しないのはもっと卑怯だ。
今でも事情は何ひとつ変わってない。
みんな無責任だ。無責任すぎて笑っちゃうくらい無責任だ。
安吾の堕落論がいつ書かれたと思っているんだろうね。
ああ、本当に人間っていうのはいつまでも変わらないものなんだなぁ。
安吾が「堕ちよ」っていうのは、一般的な意味で堕落しろってことではない。
そういうからくりから抜け出せ、ということなんですよ。
わたしたち人間は弱い。哀しいほど弱い。
それでも、そういう都合の良い柱に寄りかかって生きちゃだめなんだと。
自分の足で――足がないなら手でもなんでも良い――で自分の身体を支えなきゃ。
わたしは、未だにそのスタート地点に到達出来ずにいる。
続・堕落論における彼の指摘は、現在でも通用するレベルの根深いものだった。
要するに、「みんな無責任すぎる」ってことの指摘。
全ての責任を他人に押しつけるからくり、すなわちシステムがあるのだと。
それは具体的に名指ししてしまえば、天皇制だとか武士道だとか、
そういうものだと安吾は言っている。
戦中、多くの人間が国粋主義に傾倒し、戦争を賛美したわけだが、
戦後、その多くの傾倒した人々は、今度は戦争反対と無反省に叫び始めたわけだ。
被害者面したんですよ、彼らは。
「天皇陛下のご命令だから仕方がない」と言い訳して、
戦争をし、そして戦争を止めたんです。
本当は自分たちが死にたくないだけなくせに。
そのくせ、権力暴力に怯えて自分からは言い出せない脆弱な生き物のくせに。
いや、だからこそ、彼らは全てを他人の、システムの所為にしたんだ。
天皇制に限らず、世間一般論とやらもからくりの一つに過ぎない。
みんながそう言うから、世間体が悪いから、社会的に仕方がないから。
卑怯だ。卑怯だ。卑怯だ。
自分で責任を負おうとしない態度は卑怯だ。
しかもそれを自覚しないのはもっと卑怯だ。
今でも事情は何ひとつ変わってない。
みんな無責任だ。無責任すぎて笑っちゃうくらい無責任だ。
安吾の堕落論がいつ書かれたと思っているんだろうね。
ああ、本当に人間っていうのはいつまでも変わらないものなんだなぁ。
安吾が「堕ちよ」っていうのは、一般的な意味で堕落しろってことではない。
そういうからくりから抜け出せ、ということなんですよ。
わたしたち人間は弱い。哀しいほど弱い。
それでも、そういう都合の良い柱に寄りかかって生きちゃだめなんだと。
自分の足で――足がないなら手でもなんでも良い――で自分の身体を支えなきゃ。
わたしは、未だにそのスタート地点に到達出来ずにいる。
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どっかで詩の研究もどきをしてる大学院生。
最近、太ったので危機的状況である(主に外見が)。
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