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愛に対する絶対的な憧れっていうのかなぁ。
正確に言えば、愛に対する崇拝と信仰、なんだろうけど、
そういうのがあるのですよ。
母親がバブル世代だからか、
お金さえあればいい、という人でした。
過去形で言ってますが現在進行形でそうです。
私が子供の頃から
「お前の父親とは金があるから結婚した」
と堂々と公言するような人でした。
別に、それでも幸せなら良いと思うのです。
でも、私から見た両親のつくった家庭というのは、
とてもじゃないけど幸せには見えないんですよね。
余所から見れば、
金銭的にゆとりもあって良い家庭だ、と
思われるのかもしれませんが。
でも、金銭的に余裕があるのは、
それを条件に結婚してるんだから当然とも言える。
でも、愛ゆえにお金なんかなくていい、といって
結婚したからといって幸せな家庭が作れるのか、というと
それとこれは話が別なわけでして。
友人の両親は文字通り「愛のために」結婚したわけですが、
私から見て「幸せか?」と聞かれると違うと思う。
金があるだけうちのほうがマシかもわからん、と思うことはあります。
でも、その友人の家庭が、外からもそう見えなくなったのは、
割と最近のことのように思います。
小学生の頃は、友人の両親が羨ましかった。
自分の父親は単身赴任でいなかったので、
父親に遊んでもらったという記憶がないのですよねぇ。
何処かにつれていってもらっても、
相手をしてくれるのは友人のお父さんだったり、
インストラクターだったりしたわけです。
だから、なんていうのかな。
それを愛がないとは言わないけど、
お金で解決できるからお金で解決してきた部分は凄く感じてた。
だから、まあ
そういうのの反動なんですよ。
結局。
愛があれば他はいらない、絶対的な愛が欲しい、っていうのは。
そしてそれをくれないならいらない、っていうのも。
人間は信じたいことしか信じないからね。
今でもお金のために自分は生まれてきたのかなぁ、と思う。
親父の結婚条件が子供が産めることだったから。
もしそうだとしたら、酷い皮肉だと思う。
お金にならない道へ進もうとする子供のあり方は。
正確に言えば、愛に対する崇拝と信仰、なんだろうけど、
そういうのがあるのですよ。
母親がバブル世代だからか、
お金さえあればいい、という人でした。
過去形で言ってますが現在進行形でそうです。
私が子供の頃から
「お前の父親とは金があるから結婚した」
と堂々と公言するような人でした。
別に、それでも幸せなら良いと思うのです。
でも、私から見た両親のつくった家庭というのは、
とてもじゃないけど幸せには見えないんですよね。
余所から見れば、
金銭的にゆとりもあって良い家庭だ、と
思われるのかもしれませんが。
でも、金銭的に余裕があるのは、
それを条件に結婚してるんだから当然とも言える。
でも、愛ゆえにお金なんかなくていい、といって
結婚したからといって幸せな家庭が作れるのか、というと
それとこれは話が別なわけでして。
友人の両親は文字通り「愛のために」結婚したわけですが、
私から見て「幸せか?」と聞かれると違うと思う。
金があるだけうちのほうがマシかもわからん、と思うことはあります。
でも、その友人の家庭が、外からもそう見えなくなったのは、
割と最近のことのように思います。
小学生の頃は、友人の両親が羨ましかった。
自分の父親は単身赴任でいなかったので、
父親に遊んでもらったという記憶がないのですよねぇ。
何処かにつれていってもらっても、
相手をしてくれるのは友人のお父さんだったり、
インストラクターだったりしたわけです。
だから、なんていうのかな。
それを愛がないとは言わないけど、
お金で解決できるからお金で解決してきた部分は凄く感じてた。
だから、まあ
そういうのの反動なんですよ。
結局。
愛があれば他はいらない、絶対的な愛が欲しい、っていうのは。
そしてそれをくれないならいらない、っていうのも。
人間は信じたいことしか信じないからね。
今でもお金のために自分は生まれてきたのかなぁ、と思う。
親父の結婚条件が子供が産めることだったから。
もしそうだとしたら、酷い皮肉だと思う。
お金にならない道へ進もうとする子供のあり方は。
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「光る傷」論、夜中に読んだせいで誤読のオンパレードなので、
あのメモを書きなおしたいのだが面倒なので後回し。
ついにポメラ買いました。
アマゾンで。2万円。
1つ型を落とせば13000~14000円で買えたみたいですが、
画面がより大きい新しいほうを選んでみた。
というか新しいのかっときゃいいだろ、と
なぜ悩んでたのかも忘れてぽちっただけとも言う。
型落とすかどうかで悩んでたんですよ。
でも数千円出し惜しみして、画面がもう少しでかいほうが、
となるのもアレだし、と見事な優柔不断っぷりでした。
ヨドバシで確認したので知ってはいましたが、
改めて持ってみるとやっぱりぶあついんだよなぁ。
適当に入力してみましたが、特に問題は感じない。
入力しにくいとかもないし。
カバーとか買ってないんだけど、欲しいなぁ。
できればブックカバーみたいなやつ(ぇ
ポーチになると、出して使うときそっちが邪魔になるので、
できればつけっぱのままに出来るやつか、
かさばらないやつがいいんだけどな。
しかしつけたままだとキーボードの構成上難しそうだ。
縦横はハガキサイズなので探せば色々ありそうだけど。
今度みてこよう。
***
ネットで調べてみた。
これとかいい感じですよね。
システム手帳型で探せばいいのか。
あのメモを書きなおしたいのだが面倒なので後回し。
ついにポメラ買いました。
アマゾンで。2万円。
1つ型を落とせば13000~14000円で買えたみたいですが、
画面がより大きい新しいほうを選んでみた。
というか新しいのかっときゃいいだろ、と
なぜ悩んでたのかも忘れてぽちっただけとも言う。
型落とすかどうかで悩んでたんですよ。
でも数千円出し惜しみして、画面がもう少しでかいほうが、
となるのもアレだし、と見事な優柔不断っぷりでした。
ヨドバシで確認したので知ってはいましたが、
改めて持ってみるとやっぱりぶあついんだよなぁ。
適当に入力してみましたが、特に問題は感じない。
入力しにくいとかもないし。
カバーとか買ってないんだけど、欲しいなぁ。
できればブックカバーみたいなやつ(ぇ
ポーチになると、出して使うときそっちが邪魔になるので、
できればつけっぱのままに出来るやつか、
かさばらないやつがいいんだけどな。
しかしつけたままだとキーボードの構成上難しそうだ。
縦横はハガキサイズなので探せば色々ありそうだけど。
今度みてこよう。
***
ネットで調べてみた。
これとかいい感じですよね。
システム手帳型で探せばいいのか。
裏を返せば自分にしか興味がないってことでもある。
吉原が独我論者であることは否定する(したい)が、
わたしが独我論を信仰している節があるのは否定しない。
にも関わらず、自己の存在に対し懐疑的でもあって、
それゆえによくわからないことになっている。
独我論は他者の否定と等しいのだが、それをするとき、
その言葉がまんまかえってくるのである。自分に。
誰かに触れている瞬間、そのとき自覚するのは、
相手がいるということ、そして「自分がいるということ」なのだ。
肉体を軽視し、簡単に死にたがる人間が言うべきことではないが、
精神とやらの実在がどうしたって証明できない以上、
最終的に縋りつくことが出来るのは身体だけなのだ。
だから、傍にいることにこだわる。
電話も手紙もあまりにも簡単に断絶してしまう、
精神の繋がりに過ぎないと無意識に承諾しているから、
すぐ隣で、手を掴んでいてくれることを望む。
解剖は許せても、身体という唯一の根拠を失うことを拒むために、
臓器移植だけは許容できない。
(ここまで自分のことを書いてふと、吉原のことを思い出した。
彼女と最初の婚約者は、精神的な繋がりのみが肥大化しすぎて破局した)
たぶん、肉体の欠落に憧れるのは、
精神と肉体がなんだかんだで合致しているからなんでしょう。
死にたいのだから肉体も死ぬべきだ、という単純な。
吉原が独我論者であることは否定する(したい)が、
わたしが独我論を信仰している節があるのは否定しない。
にも関わらず、自己の存在に対し懐疑的でもあって、
それゆえによくわからないことになっている。
独我論は他者の否定と等しいのだが、それをするとき、
その言葉がまんまかえってくるのである。自分に。
誰かに触れている瞬間、そのとき自覚するのは、
相手がいるということ、そして「自分がいるということ」なのだ。
肉体を軽視し、簡単に死にたがる人間が言うべきことではないが、
精神とやらの実在がどうしたって証明できない以上、
最終的に縋りつくことが出来るのは身体だけなのだ。
だから、傍にいることにこだわる。
電話も手紙もあまりにも簡単に断絶してしまう、
精神の繋がりに過ぎないと無意識に承諾しているから、
すぐ隣で、手を掴んでいてくれることを望む。
解剖は許せても、身体という唯一の根拠を失うことを拒むために、
臓器移植だけは許容できない。
(ここまで自分のことを書いてふと、吉原のことを思い出した。
彼女と最初の婚約者は、精神的な繋がりのみが肥大化しすぎて破局した)
たぶん、肉体の欠落に憧れるのは、
精神と肉体がなんだかんだで合致しているからなんでしょう。
死にたいのだから肉体も死ぬべきだ、という単純な。
メッセで言葉狩りの話が出たのでそれでも。
異性愛者からすればどうでもいい話でしかないのかもしれないが、
「レズ」「ホモ」という語は、蔑称であると定義されていることはご存じだろうか?
別に存じなくてもかまわない。本当にどうでもいいことだから。
なぜ最近(といってもかなり前になるかもしれないが)になって、
「ビアン」だの「ゲイ」だのという言葉が出てきたのかと言えば、
結局「レズ」「ホモ」を避けるため――ポジティブな捉え方をするために、
蔑称的に使われてきた語を使うのを止めようとしたため――である。
しかし、そもそも「レズ」「ホモ」に蔑称的な意味合いはなく、
ただ女性同性愛者や男性同性愛者を示すだけの言葉であったのは自明である。
それが蔑称的、つまりネガティブなイメージを引き受けるようになったのは、
「大衆化」し、それらの語が指し示す対象を嫌う人間が使うようになったからだ。
だから、どうでもいい、と私は思う。
ビアンもゲイも大衆化すれば、
ネガティブな意味合いを帯びるようになるのは必然だからだ。
事実、既にゲイは嘲笑の色合いが纏わりついているだろう。
ビアンのほうも時間の問題で、
ゲイが先にそうなったのはハードゲイの存在など、
それだけ大衆に知られる機会が多かったというだけである。
言葉狩りにおける問題は、
無意味でありながらも表面的には変化するため、解決したと錯覚できることにある。
だからこそ、「障害者」や「痴呆症」など言葉狩りはたえないわけだ。
(もちろん、そこに絡む「利権」もあるのだろうが)
しかし、それ以上に問題なのは、
狩られた言葉が「暗号」として、また別の意味合いを帯びてくることである。
例えば、「レズ」「ホモ」を使う人間は、「同性愛者をバカにしている」と。
因果関係の逆転が生じてしまうのだ。
本当は、嫌悪している人間がそういう文脈の中でその単語を使っただけなのに、
言葉狩りによって、
その語は積極的にネガティブなイメージを引き受けざるを得なくなるのである。
そうなると、もう「レズ」「ホモ」という語は、「使えなくなる」。
狩られた言葉は、敵と味方を区別するためのキーワードとして、
殆ど無意識に用いられるようになっていく。
これはある意味では楽なのだが、
表記が揺れている段階だと非常に困るのだ。
はっきりいって、「レズ」「ホモ」程度であれば、
「レズビアン」「ホモセクシュアル」「同性愛者」と別の表記をすれば済む話である。
しかし、「障害」「痴呆」になると、そうはいかない。
「障がい」と「障害」のどちらで表記するのか、
そしてその表記によって時として、
こちら側がとんでもない不利益を被る可能性がある場合
――例えば大学のレポートなどで、「評価」がつけられる場合――
言葉の使い手は非常に悩まざるを得なくなってしまう。
なんせ評価する側がどちら側かなんて、知り様がないのだから。
だから本当に困るよねー、っていう話をした。
そんだけ。
異性愛者からすればどうでもいい話でしかないのかもしれないが、
「レズ」「ホモ」という語は、蔑称であると定義されていることはご存じだろうか?
別に存じなくてもかまわない。本当にどうでもいいことだから。
なぜ最近(といってもかなり前になるかもしれないが)になって、
「ビアン」だの「ゲイ」だのという言葉が出てきたのかと言えば、
結局「レズ」「ホモ」を避けるため――ポジティブな捉え方をするために、
蔑称的に使われてきた語を使うのを止めようとしたため――である。
しかし、そもそも「レズ」「ホモ」に蔑称的な意味合いはなく、
ただ女性同性愛者や男性同性愛者を示すだけの言葉であったのは自明である。
それが蔑称的、つまりネガティブなイメージを引き受けるようになったのは、
「大衆化」し、それらの語が指し示す対象を嫌う人間が使うようになったからだ。
だから、どうでもいい、と私は思う。
ビアンもゲイも大衆化すれば、
ネガティブな意味合いを帯びるようになるのは必然だからだ。
事実、既にゲイは嘲笑の色合いが纏わりついているだろう。
ビアンのほうも時間の問題で、
ゲイが先にそうなったのはハードゲイの存在など、
それだけ大衆に知られる機会が多かったというだけである。
言葉狩りにおける問題は、
無意味でありながらも表面的には変化するため、解決したと錯覚できることにある。
だからこそ、「障害者」や「痴呆症」など言葉狩りはたえないわけだ。
(もちろん、そこに絡む「利権」もあるのだろうが)
しかし、それ以上に問題なのは、
狩られた言葉が「暗号」として、また別の意味合いを帯びてくることである。
例えば、「レズ」「ホモ」を使う人間は、「同性愛者をバカにしている」と。
因果関係の逆転が生じてしまうのだ。
本当は、嫌悪している人間がそういう文脈の中でその単語を使っただけなのに、
言葉狩りによって、
その語は積極的にネガティブなイメージを引き受けざるを得なくなるのである。
そうなると、もう「レズ」「ホモ」という語は、「使えなくなる」。
狩られた言葉は、敵と味方を区別するためのキーワードとして、
殆ど無意識に用いられるようになっていく。
これはある意味では楽なのだが、
表記が揺れている段階だと非常に困るのだ。
はっきりいって、「レズ」「ホモ」程度であれば、
「レズビアン」「ホモセクシュアル」「同性愛者」と別の表記をすれば済む話である。
しかし、「障害」「痴呆」になると、そうはいかない。
「障がい」と「障害」のどちらで表記するのか、
そしてその表記によって時として、
こちら側がとんでもない不利益を被る可能性がある場合
――例えば大学のレポートなどで、「評価」がつけられる場合――
言葉の使い手は非常に悩まざるを得なくなってしまう。
なんせ評価する側がどちら側かなんて、知り様がないのだから。
だから本当に困るよねー、っていう話をした。
そんだけ。
一人の人間にレッテルをはるとき(とあえて言おう)、
問題になるのは、いったい何に対して、どの観点から、どのようにはるのか、
ということである。
人間は人間をラベルによって判別しようとする。
もっと極端に言えば、ラベルによってでしか判別できなくなっている。
個人がラベルの集合体に過ぎない以上、
ラベルをはられなかった部分は個人を構成する要素から抜け落ちる。
「私」という個人に対するラベルは山のようにある。
例えば性別や肌の色といったものから、
性指向、性癖、趣味、誕生日、年齢、学歴、親の職業、持病の有無など
極めて個人的で見ただけではわからないようなものもある。
「何に対して」というのはそういうことで、
ラベルをはるとき、個人のどの部分を抜き出すのか、ということである。
別にそれは特異性のある部分でもいいし、
性別のような一言で終わるようなものでも良い。
「どの観点から」というのは、
その対象に対して、例えば肯定的か批判的か、
あるいは、もっと具体的な
――立場というよりは抜きだすと決めた部分をどう切り取るか、という――
「切り方」をどうするのか、ということである。
私の「性指向」という対象について、
同性愛者と一言で切り取ることも出来るし、
他の同性愛者と比較して特質的であるという言い方も、
そう思うのであればしても良い。
(ちなみに普通の同性愛者とやらがよくわからないので、
別に自分が特質的だとは思っていない。単なる例である)
「どうやって」というのは、
どのように表現するのか、ということである。
文章で書こうが一人でぶつぶつつぶやこうが絵にしようが、
それは個人の自由である。
大抵は「言葉」そのものを媒介としてなされることが多いが。
こんなつまらないことを書きだすのは、
要するに自分がやろうとしてることはそういうことなんだろうなぁ、と
少しつまらなく思ったからである。
やっているときは楽しいんだがね。
問題になるのは、いったい何に対して、どの観点から、どのようにはるのか、
ということである。
人間は人間をラベルによって判別しようとする。
もっと極端に言えば、ラベルによってでしか判別できなくなっている。
個人がラベルの集合体に過ぎない以上、
ラベルをはられなかった部分は個人を構成する要素から抜け落ちる。
「私」という個人に対するラベルは山のようにある。
例えば性別や肌の色といったものから、
性指向、性癖、趣味、誕生日、年齢、学歴、親の職業、持病の有無など
極めて個人的で見ただけではわからないようなものもある。
「何に対して」というのはそういうことで、
ラベルをはるとき、個人のどの部分を抜き出すのか、ということである。
別にそれは特異性のある部分でもいいし、
性別のような一言で終わるようなものでも良い。
「どの観点から」というのは、
その対象に対して、例えば肯定的か批判的か、
あるいは、もっと具体的な
――立場というよりは抜きだすと決めた部分をどう切り取るか、という――
「切り方」をどうするのか、ということである。
私の「性指向」という対象について、
同性愛者と一言で切り取ることも出来るし、
他の同性愛者と比較して特質的であるという言い方も、
そう思うのであればしても良い。
(ちなみに普通の同性愛者とやらがよくわからないので、
別に自分が特質的だとは思っていない。単なる例である)
「どうやって」というのは、
どのように表現するのか、ということである。
文章で書こうが一人でぶつぶつつぶやこうが絵にしようが、
それは個人の自由である。
大抵は「言葉」そのものを媒介としてなされることが多いが。
こんなつまらないことを書きだすのは、
要するに自分がやろうとしてることはそういうことなんだろうなぁ、と
少しつまらなく思ったからである。
やっているときは楽しいんだがね。
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どっかで詩の研究もどきをしてる大学院生。
最近、太ったので危機的状況である(主に外見が)。
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